ミノティー学習塾 鹿嶋店 の日記
-
今だから、言えること
2020.01.02
-
先週土曜日は、長女の結婚式でした。結婚式とは、「これまでお世話になった方々に感謝を伝える場」だということを、 若い二人から教えられた気がします。
親の力を一切借りず、若い二人だけで企画、準備した式と披露宴は、豪華さはなくても、涙と笑いに包まれたあったかくて、本当に素敵なものでした。この日、私は、我が子のことを心の底から誇りに感じました。この日の感動は、私自身も一生忘れることはできないことでしょう。
今だから言えること。。。
20年前、私は、人生という 旅の途中で、元旦那の車から引きずりおろされました。(例えですが、ご察知ください)9歳、8歳、そして3歳の子供達とともに。
あの時、私が感じたのは、辛さ、絶望感、苦しさ等々、ありとあらゆる負の感情です。
下の二人は、病弱で、病院通いも頻繁でした。入院もあたりまえ。ひどい時には、同時に入院していたこともあったような。。。辛いことが多すぎで、私自身、感情が麻痺していてよく覚えていません。
喘息の発作で苦しむ幼い我が子を、真夜中にたった一人で、救急外来に連れていく心細さは、どれほどのものだったことでしょう。本当にあの時の気持ちは覚えていません。ただ、誰もいない真夜中の病院の薄暗い待合室の光景は、いまでも脳裏に焼き付いて離れません。
私に降り注ぐ苦難、困難。ブログで公にできないこともたくさんあります。多分、私は、不幸自慢では、誰にも負けないと思います。負けない自信があります。(自慢になりませんね(-_-;))
当時の私は、遠くにかすかに見える光に向かい、真っ暗なトンネルの中を小さい我が子の手を引いて、必死で歩いているようなものでした。
私を奮い立たせたこと、、、、それは、意地でも我が子を一人前に育て上げること、ただそれだけだったのだと思います。毎日、必死でした。一生懸命でした。
女の子には、自分の食い扶持は自分で稼げるようになること、男の子には、自分の家族を養うことのできる人に育て上げること、、、それを信念に、我が子に接してきました。今考えると、私が見ていたのは、我が子の10年後、20年後の未来だったのだと思います。
だからこそ、学ぶことをなおざりには決してさせませんでした。それは、我が子の将来に光をさしてくれるのが、教育だと信じていたからです。
辛いことの連続で、小さな水たまりができるくらい流した涙の量、でも、私には、支えてくれた両親の存在、そして大切な友の存在がありました。この支えがなかったら、、、娘の感謝の手紙からの引用ですが、恐怖すら感じます。
そして、ここ最近、私たち親子は、トンネルから抜け出せたのかな?と思います。
長女は、小学生の頃の卒業文集に書いた管理栄養士という夢を実現させました。彼女は、東京の中堅の女子大を首席で卒業し、助手として母校の大学に5年間勤務した後、都内の大きな病院で管理栄養士として活躍しています。彼女の美しさは、外見だけではなく内面からの輝きなのだと思います。
次女は、学校を卒業した後、地元で、就職しました。私の健康を誰よりも気にかけてくれる優しい娘です。近くにいてくれるので、私にとっての心の支え、頼りになる存在です。
長男は、筑〇大学の四年生、彼が内定を頂いたのは、もったいないくらい優良な一部上場の企業です。なにより、うちの息子が社会から必要とされる人であったことが、親としては誇りです。
実は、本当に辛い時期に、一度だけ占い師の元を訪れたことがあります。(結構病んでいますね〉
占い師さんは、私に言いました。「あなたは、本当に誠実な人です。大丈夫必ず幸せになれますよ。」と、、、不覚にも人前で初めて泣いてしまいました。そして、その言葉を信じて、一生懸命生きてきました。
そして、今、、私は、心から信頼できる主人と、飼い猫と穏やかな日々を送っています。我が人生も色々ありましたが...なんとかハッピーエンドになれそうです(^^)
娘の手をとり、娘と歩いたバージンロードは、涙で霞がかかってしまいました。娘の幸せが、本当に嬉しくて、嬉しくて。。。私は、今、幸せです。